国際協力
以下はベオグラードと公式に姉妹都市提携を結んでいる都市である
さらに、ベオグラードを構成する自治体の一部は、以下の都市やその下位自治体と姉妹都市提携を結んでいる。
また、以下の旧ユーゴスラビア諸国の首都との基本合意に調印している。
・リュブリャナ、スロベニア(2003年10月、ザグレブと共に)
・スコピエ、マケドニア共和国(2006年10月)
・ザグレブ、クロアチア(2003年10月、リュブリャナと共に)
・ポドゴリツァ、モンテネグロ (2006年)
ベオグラード市は国内外から数多くの栄誉賞を受けており、1920年のフランスのレジオンドヌール勲章、チェコスロバキアのWar Cross、セルビアのKara?or?e's Star with Swords、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の人民英雄勲章(Order of the National Hero、1974年10月20日、第二次世界大戦でのナチス・ドイツによる占領を打ち破った記念日)。
第一次世界大戦 - 戦間期: 街の統合
1914年6月28日、ガヴリロ・プリンツィプがオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント夫妻を暗殺したサライェヴォ事件によって第一次世界大戦が引き起こされた。その後のバルカン半島での戦いの多くはベオグラード周辺で起こった。オーストリア=ハンガリー帝国海軍のモニター艦は1914年7月29日にベオグラードを包囲し、街は11月30日にオスカル・ポティオレク(Oskar Potiorek)率いるオーストリア軍の手に落ちた。12月15日、街はラドミル・プトニク率いるセルビア軍によって奪還された。10月6日から10月9日にかけて、街の大半を破壊した長期の戦いの後、10月9日にベオグラードはドイツ陸軍とアウグスト・フォン・マッケンゼン率いるオーストリア=ハンガリー軍の手におちた。街は1918年11月5日、元帥Louis Franchet d'Espereyとアレクサンダル1世率いるセルビア軍とフランス軍によって再奪還された。前線の街であったベオグラードでは大規模に人口が減少し、一時はスボティツァがセルビアで最大の人口の街となった
[Balkanology]。しかし終戦後ベオグラードは急速に人口を増やし、1920年代初頭にはベオグラードの人口はスボティツァを上回った。終戦後、セルビアは他国の領土とともにセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国となり、ベオグラードはその首都となった。王国は1929年に公式にユーゴスラビアへと改称された。ユーゴスラビア王国は9の州(バノヴィナ)に分けられ、ベオグラードとゼムン、パンチェヴォはどのバノヴィナにも属さない独立した行政区を構成した
[ISBN 86-17-09287-4: Kosta Nikoli?, Nikola ?uti?, Mom?ilo Pavlovi?, Zorica ?padijer: Истори?а за тре?и разред гимнази?е, Belgrade, 2002, pg. 144]。
この時代、ベオグラードは急速な発展と現代化を遂げた。ベオグラードの人口は1931年には239,000人に達し(オーストリア・ハンガリー帝国領であったゼムンを含む)、1940年には320,000人となった。1921年から1948年までの年間の人口増加率は平均して4.08%であった
[{{cite journal
]
|url=http://nainfo.nbs.bg.ac.yu/sfoa/pdfovi/0350-03730101087P.pdf |title=Industrija i urbani razvoj Beograda|last=Petrovi?|first=Dragan|journal=Industrija|year=2001|volume=21, No. 1?4|pages=87?94|accessdate=2007-07-10|issn=0350-0373|format=PDF}}。1927年、ベオグラードで初の空港が開港し、1929年、ラジオ局が放送を開始した。ドナウ川を渡るパンチェヴォ橋(Pan?evo Bridge)は1935年に開通した
。
交通
ベオグラードにはバス(都心に118路線、郊外に300路線以上が走る)、路面電車(12路線)、トロリーバス(8路線)を中心とした広範な公共交通システムがある
。ベオグラードの交通システムはGSPベオグラード(GSP Beograd:ベオグラード市公共輸送公社)、SPラスタ(SP Lasta)およびその他の民間のバス会社によって運営されている。ベオグラードにはまたコミュータ鉄道(commuter rail)網のベオヴォズ(Beovoz)があり、GSPベオグラードによる運営管理の下でセルビア鉄道により運行されている。ベオグラードの中央駅からは、他のヨーロッパ諸国の首都や、セルビア各地の都市へと鉄道網が結ばれている。長距離バスでの旅行も一般的であり、ベオグラードからセルビア各都市へは毎日、バスの便がある。高速道路網によって、北へはヴォイヴォディナのノヴィ・サドやハンガリーの首都ブダペストへ、南へはニシュへ、西へはザグレブへと結ばれている。2つの主要河川、ドナウ川とサヴァ川の合流地点に位置するベオグラードには数多くの橋があるが、最も主要な橋はブランコ橋(Branko's bridge)とガゼラ橋(Gazela)であり、どちらもノヴィ・ベオグラード地区と都心を結んでいる。新しいアダ橋(Ada Bridge)は建造中である。
ベオグラード港はドナウ川に面しており、河川からの貨物を取り扱える
、2007年には250万人の利用者数があった
[www.beg.aero]。
街の拡大と自動車数の増加に伴い、渋滞は深刻な問題となっている。E70号線(E70)とE75号線を結ぶベオグラード・バイパスが開通すれば、問題は緩和されると期待されている
。ベオグラードでは2008年に3つの新しい橋の建設が着手された。2本はサヴァ川、1本はドナウ川に架かる橋である。ドナウ川にはさらに2本の新しい橋の建設が計画されている。